2015年9月24日木曜日

9月24日(木) 歴史に学ぶ-ナチス・全権委任法の今日的意味-

 安全保障関連法案が可決、成立しました。

 この法律は、法案の段階で「戦争法案」と批判され、その「違憲性」が強く指摘されています。ここでは、80年ほど前にさかのぼってこの法律について考えてみたいと思います。

 1933年にドイツで成立した「全権委任法」第一条には、「ドイツ国法律は、ドイツ国憲法に定める手続によるほか、ドイツ国政府によってもこれを議決することができる」とあります。この条文に基づいて、立法府と並んで、行政府もまた立法権を有することになりました。そして第二条では、「ドイツ国政府が議決したドイツ国法律は、(中略)ドイツ国憲法に背反することが許される」と記されています(ワルター・ホーファー(救仁郷繁訳)『ナチス・ドキュメント 1933-1945』ぺりかん社、1975年)。

 つまり、一内閣の政策は議会を経由することなく法律化され、それはしかも憲法に違反してもいいと規定されたのです。ナチスによる独裁体制が確立する際に、この法律が非常に大きな役割を果したことは言うまでもありません。

 ひるがえって、現在の日本ではどうでしょうか。長年積み重ねてこられた集団的自衛権に関する憲法解釈が一内閣によって変更されました。しかもその変更に基づいて作られた法律に対して「違憲」であるとの指摘があとを絶ちません。合憲論があることは確かですし、政府が自ら解釈を変更することも絶対許されないわけではないでしょう。しかし、ここでは、そのような適法性・合憲性の法律学的評価を問題としたいのではありません。ときの政府が、自らの政策を遂行するために憲法解釈を変え、「違憲」との批判を無視して法律を可決するという日本政治のあり様は、かつてのナチスの全権委任法との比較でどのような意味を持つのでしょうか。

 もちろん、日本を含めたファシズム国家が台頭した時代と現在では国際情勢にせよ、社会環境にせよ、様々な条件が大きく異なっています。現政権に何か特定のレッテルを貼ることは適切ではないでしょう。そして今後、日本でかつてのドイツのように独裁体制が敷かれるかどうかも、全くわかりません。しかし、歴史に学ぶ時、私たちはドイツの例を無視することはできないでしょう。あとから振り返ってみた時に、今回の出来事が民主主義か独裁かを選択するような事態であったとしないためにも、常に政権を監視し、批判の声を上げ続けなければなりません。

 法律は可決されました。しかし、私たちは、職場で、学校で、家庭で、カフェで、居酒屋で、友人や同僚と、家族と、大好きなあの人と、語り続けることができます。民主主義とは何か。70年前、それはどのようにして私たちの手元にもたらされたのか。この間、私たちの暮らすこの国で、民主主義はどのように守られ、育てられてきたのか。私たちはそれを今後、どのように守っていくのか。私たちは、日本国憲法の下で自由に考え、発言し、そして行動することができます。様々な場所でたくさん語り、そしてまた、街頭で声を上げましょう。民主主義を守り、独裁を許さないために。


(法学部 教員)